もう手に入れているかもしれないのに幸せが欲しいか
幸せって何だと真剣に考えてもいないど、幸せにと言うのは結構身勝手だろう、欲しい物が抽象的で、もう手に入れているかもしれないのに。
サン=テグジュペリ
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。
君という人間は君の行為自体の中に宿っている。君の行為こそ君なのだ。もうそれ以外のところに君はない!
努めなければならないのは、自分を完成させることだ。
生きながらえるためには、服従すべきであり、存在しつづけるためには、戦うべきである。
探しているものは、たった一輪のバラやほんの少しの水の中にも見つかるはずだ。
人間であることは、自分の意志をそこに据えながら世界の建設に参加しているのだと感ずることである。
本当の贅沢というものは、たったひとつしかない。それは人間関係に恵まれることだ。
地球は先祖から受け継いでいるのではない、子どもたちから借りたものだ。
自分の内側を見てみても、ぼくは自分以外のものと出会ったことがない。
真実の愛は無限です。与えれば与えるほど大きくなる。
人間たちはもう時間がなくなりすぎてほんとうには、なにも知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売ってる店なんてないから人間たちにはもう友だちがいない。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。
一滴の水が、どうして己を大河と知るであろうか?だが大河は流れているのだ。樹木を作る細胞の一つ一つが、どうして己を樹木と知るであろうか?だが、樹木は伸び広がっているのだ。
僕の命を救ったのは、他でもない。このささやかなほほ笑みだったんだ。
救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ。
愛は、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。
人間は充実を求めているのであって、幸福を求めているのではない。
本当の愛は、もはや何一つ見返りを望まないところに始まるのだ。
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